インターセックス医療と子どもの性的虐待

「性器切除」という言葉を聞くと、大抵の人はアフリカの一部で行なわれているような、伝統的・儀式的な若い女性の性器に対する部分切除を思い浮かべますが、技術的に高度な道具を使うことをのぞけば同じくらい儀式的な性器への物質的侵害は、欧米や日本などの先進各国でも密かに実施されています。1950年代以降、これらの国ではインターセックスの子ども(身体的特徴から完全に男児であるとも女児であるとも判別しづらい身体をもった子ども)たちに対して、性器を「正常に」見せることを目的とする形成手術が行なわれていますが、最近になってこれらの手術を経験した当事者たちが手術によって精神的・身体的に傷つけられたとして声を上げています。

インターセックスの症状を持つ人たちは、いわゆる文字どおりの「両性具有」ではありません。彼らは、通常とは違った形状や組み合わせの内性器・外性器・性腺などを持ちますが、「完全な男女両方の性器」を持ち合わせることはありません。インターセックスの身体を「修正」するための手術は長い間に渡って行なわれていますが、現在に至るまでそれらの手術が必要だとか、安全だとか、効果があるという証拠は挙がっていません。

インターセックスを隠蔽するための手術の最大の問題点は、生涯にわたる沈黙・孤立・恥・混乱のパターンが手術によって始められることです。こうした「治療」を受けて大人になったインターセックスの人たちの体験は、子どもの頃に性的虐待を受けて育った人の体験と非常によく似ています。これは、治療を行なう医者の全員が非人道的な虐待者だというわけではもちろんありません。そうではなく、いかに医者が良心的にその子のためを思って治療を行なっても、子どもの側から見るとそれは性的虐待と区別がつかないのです。例えば、信頼できるはずの大人による信頼の裏切り、隠しごとのあるコミュニケーション、何が起きているのか周囲に不用意に聞いたり他人に真実を伝えると叱られるなどの経験がそれにあたります。

一部のインターセックスの子どもの経験は、それ以上に性的虐待と酷似しています。というのも、膣を持たずに生まれた子どもが女児として育てられる場合頻繁に行なわれる膣形成手術では、一旦形成した膣が再び塞がらないために、術後数カ月に渡って子どもの膣内に毎日一定の時間ずつ器具を押し込む事が必要とされています。大抵の場合はこの役割は母親に任されますが、医者に強要されて親がこの行為をさせられた場合、親子ともに大きなトラウマを抱えることがよくあります。結果的に、親はより子どもに真実を伝えなくなり、子どもの孤独感と混乱を一層深刻にします。

しかし、多くのインターセックスの当事者にとって、手術そのものよりもトラウマになっているのは、思春期の間繰り返し行なわれる病院での検査の経験です。こうした検査において、普段は絶対に秘密にしろと言い聞かされている部分を医者にいじられるだけでなく、医者が発する無神経なコメントを聞くたびに、インターセックスの子どもは深く傷付きます。また、一人の医者に診られるだけでなく、下半身をさらけ出したまま複数の医者や看護士や医学生に観察されたり、酷いケースでは医学部の教室に連れ込まれて教材にされたという経験を持つ人もたくさんいます。こうした経験をした子どもの多くは、自分の体は何か決定的に恥ずかしくて異常なんだと思い込まされ、傷付きます。

過去10年間において、アメリカをはじめ各国でこうした医療上の虐待的な行為に反対するインターセックス当事者の運動が生まれてきました。それでも、今も2000人に1人の割合でこうした扱いを受ける子どもが生まれています。アフリカにおける性器切除を問題とする人や、性的虐待に取り組む人たちは、インターセックスの運動にも参加して、わたしたち自身の属する社会・文化内部における性器切除の問題にも取り組むべきです。